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光玉は世界救世教を破門になった「御聖言」はウソばかり

-世界救世教側では光玉を破門にしたと言っている-
下記に引用した書籍名と内容の一部を紹介していますが、長いので要約しますと

光玉は世界救世教の岡田茂吉の弟子であったが、危険として禁じられていた「鎮魂帰神法」の施行や「竹内文書」の解釈など勝手な振る舞いが多かったので破門となった<br>

(注:光玉と茂吉は同じ岡田姓だが姻戚関係はない)

つまり光玉はこの頃から宗教団体の独立を考えていたと思われる、破門になったのは昭和27年頃で光玉51歳の時のことである「鎮魂帰神法」は真光で言うと眉間(8番)のお浄めと霊査のようなものと思いますが?また「竹内文書」は一般には偽書と言われているが分かり易い解説書を読むとなかなか面白い面もある


光玉は救世教では商売としての「信者獲得法」を学んでいたともいえる。それを茂吉氏に見抜かれて破門となったんでしょう


中島多加仁氏:著の「超宗教」
 
「超宗教」182頁8行目から
真光の教祖・岡田良一は、茂吉の弟子であった。が、あることにより破門されたのである。
それは彼らが励行する”真光の業”という浄め方法を見てもよくわかるが、あれは茂吉が全面禁止した、いわゆる「鎮魂帰神法/ちんこんきしんほう」なのである。

茂吉の講義
「・・・・・神憑りの危険なことは、常に私は注意しているにもかかわらず、今もってやめない人があるが、これは断然やめるべきである。・・・・・神憑りの八、九割までが狐霊であって、狐霊の八、九割までが邪霊であるから人を瞞すことなど本能的であり、人間に悪いことをさせるのは何とも思わないどころか、むしろ面白くて仕様ががないのである。という訳で彼らの中でも高級なやつになると憑依する場合、何々神だとか何々如来、菩薩、竜神などと言い、本人にもそう思わせると共に人にも信じさせようとするので、御本人もすっかりそのきになってしまい、生き神様扱いにされて多くの人から敬われ、贅沢三昧に耽るのがよくあり、これが狐霊の本性である。そして狐霊でも劫を経たやつになると、相当神通力をもっており、人間に憑依するやその人の思ってることは何でも分かるから、それに合わせて色々ななたくらみをする」
(霊憑りについて/昭和26年2月5日)


このように厳しく憑霊現象の危険を促した。ところが、それを無視して「鎮魂帰神法」に励んだ弟子が数人いた。そのもっとも有力者が岡田良一(のちの真光教祖・岡田光玉)だった。彼は、戦後に世界救世教へ入信したが、病気直しを中心とした茂吉よりも神秘を全面に押し出した王仁三郎へ意識が向いてしまうのも無理はないが、それではあまりに節操がないので、かれは超古史伝の最高峰とうたわれた「竹内文書」に目をつけた。さらに予言を全面に出し、教団拡充にへの糸口をみつけたのだ。



ここで解ることは
「御聖言」の最初にある「天地一切神の声・・・・」はウソ。光玉は昭和34年2月27日に突然(はじめて)神の声が聞こえたと言っているが?その十年も前から神様商売をしていた。昭和22年世界救世教入信、昭和24年ころには幹部として給料をもらっていた、昭和27年破門の後は「岡田竜造」を名乗って手かざし商売をしていた。もちろん巨額の借金返済の話もウソでしょう、そんな余裕はなかったはず。


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超宗教―医学・農業・芸術の革命児 岡田茂吉の霊子科学


御み霊とオキヨメで病気は治りません 真光3代の教祖とパクリの教えの実態 実録・魂を抜かれた組み手はゾンビになる実録・教団幹部と使い捨ての地元幹部

岡田光玉は神の声など聞いてはいない

このブログを書き始めて1年になりますが、よくネタが続いたモンだと自分でも感心します。この辺で自分自身のお復習いをしてみたいと思います。



初代の光玉は神の声など聞いてはいない、御聖言はパクリ集

いきなり断定的な書き出しで申し訳ないが、これは簡単なことで教団発行の「御神書」とか言う出版物をよく読んで並び替えるだけで証明できるのです。このブログのカテゴリ◆教えはパクリで矛盾だらけと◆真光の教祖と幹部をザーッと目を通すだけで少しは納得して戴けると思いますが



ここが原点となって「不幸の連鎖」を起こし人々を迷わせるのです。正に真光の教えにある「無から有」ですね



ではなぜ私たちは光玉の術中に嵌まったのかと言いますと?人間誰しも「神を信じ」「神を畏れ敬う」心を持ってますから!光玉の様に堂々と「天地創造の神の地上代行者」と名のられるとたちまち降伏してしまうこともありますよね!



おばちゃん達が「息子」を騙られるとあっけなく振り込め詐欺に引っかかるのと似てますね


このおばちゃん達は気の毒な被害者ですが同時に加害者でもあるんですね。振り込む人が居るから年間300億円の豊かな漁場を維持して、これがプロのハンター「詐欺集団」を支え、人材を育てて被害の連鎖を生み出すんですね!




原則として①真光誌250巻と教団発行の出版物を中心に自分自身の直接見聞きしたことを書いています②ネット情報はその旨を明記した上で参考程度に記載しています③組み手のことをも書いていますが個人攻撃をするつもりはありません。

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光玉の犬への手かざし2回の初体験?と貨幣価値

岡田光玉の最初の手かざしは犬ということになってますが?この初体験が2回あります光玉の話にはこの手の同じことが時代を変えて何度も出てきます。また貨幣価値も曖昧です。


神の声を聞く】祟教真光50年史 50年史39頁3段目

戦災による借金を返す当てなどありません。死を決するしか道はありませんでした。

先祖からの財産をすべて失くしてしまい、本当に申し訳に事をしてしまったと悔悟の念にくれました。「せめて自殺する前に先祖から信仰してきた神様にお詫びのお参りをさせていただこう」との思いが沸き上がってきました。神様へのお玉串を何とかしなくてはならない。しかし何もない。結局ボロになった作業服をうるしかありませんでした。

荻窪の駅前にある古着屋にそれを持っていって交渉しました。一時間ほど粘ると、

とうとうとうとう事情を知った店のお爺さんは「あんたの命があたら必ず取りにきなさい。それまで預かっておこう」と言って500円を渡してくれました。救い主様は、先祖から大切にお祀りされてきた神様のもとを訪れ、お詫びのお参りをしました。神の前に頭を垂れる師の眼からは涙が止めどなくなく流れ落ちます。有為転変の人生が走馬灯のようにめぐり来たりて、身の不始末を心よりお詫びするしかありませんでした。救い主様はお参りが終わると自殺の場所を探しました。どれぐらい彷徨ったでしょうか。死に場所を探しているうちに不思議な現象を体験したのです。先祖の罪穢が消えたぞ。曇りが取れたぞ」突然声なき声が聞こえたような気がしました。救い主様は思います。・・・救い主様は一ぺんに明るくなって自殺するのを辞めてしまいます。


その帰り道、不思議な体験をします。

大きなお屋敷の前を通ると一匹の犬が苦しんで倒れています。周りに人が集まっているのですが、皆何もできないでいます。「かわいそうに・・・」と思われた救い主様は、そばによって様子を見ました。その時、天空の彼方から「手をかざせ!」と言う声がハッキリ聞こえて来たのです。これが救い主が神の声を聞かれた最初です。救い主様はしばらくは躊躇されましたが、天からの声に従って犬に手かざしを始めました。すると体に熱いエネルギーが充ちて、掌から霊光がほとばしる感覚を覚えたのです。10分も経過したでしょうか。何と、あれほど苦しんでいた犬がみるみる元気になって立ち上がったのです。これには救い主様自身が驚かれました。そこへ品の良いご婦人が来て「あら、うちの犬あんなに弱っていたのにこんなに元気になって」と抱いて帰ろうとしました。・・・ご婦人はあなたが治してくださったのですね。有難うございました」と頭を下げてお礼を言われたのです。・・・招かれるままに縁側でお茶を御馳走になって、御主人が帰ってこられました。奥さんが事情を話されますと大変喜んで、帰りがけに「たばこでもどうぞ」と言って白い封筒をくださいました。中見は2000円でした。これが後、行商の元でにもなるのですが救い主様はまずこのお金で神様と御先祖の位牌をお祀りされました。そうするとその後の借金返しがスルスルっと順調にすすんでゆくのです。


100yen.jpg

疑問:この頃の最高額紙幣は100円で貨幣価値は現在の10万円と言われている、つまり2000円は現在の二百万円相当?通りがかりの光玉にこんな大金をくれたのですか?


昭和34年(1959)天地一切神の声のあと

【御対談集】本山氏との対談280頁8行目

救い主様:「・・・たしか昭和34年の2月27日ですが、私の家の神様を拝んでいたら、大きな声で「光玉と名のれきびしき世となるべしとい声が聞こえたのです。・・・ひょっとしたらキツネかタヌキに憑かれたんじゃないかというわけで、一週間ぐらいは立ち上がる気が全然しなかった。ところがふと犬に手をかざしてみたら犬の病気が治っちゃった。それが始まりで・・・」


救い主様:「・・・友達から千円を借りて汽車賃をつくり田舎へ・・・」276頁


汽車賃の話も古着を五百円で売ったり、友達から千円を借りたり話す度にブレが見られる。


光玉の経歴年表にもどる


救世教と並木の坊さん 岡田光玉の失業

ばらばらに記載されている光玉の経歴1945~1952の7年間
第二次大戦:後の昭和20年(1945)から多田建設入社まで、光玉44才から51才で、聖珠(井上甲子)は16才から23才の頃で恋人 気分一杯の時期ですから、この期間の二人の経歴には教団も困ったでしょうね。出版物によりばらばらです


救世教関連の書籍「超宗教」では
光玉は救世教の幹部(給料を貰える教団の社員)となっている
そして昭和27年頃破門にしたとある、

光玉が聖珠(甲子)と一緒に救世教に入信したのは昭和22年と言われている



 1983年「大聖主 岡田光玉師」昭和60年6月初版
第二次大戦後 昭和20年(1945)~27年(1952)の頃のことは記載がない
昭和28年に多田建設に入社。光開発株式会社設立。そして昭和34年立教とある
 


 1994年「最後の天の岩戸開き」八坂東明・3代目教え主
32頁~35頁
「並木の坊さん」の元で「下座の行」「ス直の行」をしていたことになっている

  


 2007年「神の大経綸」 岡田晃弥・3代目教え主
18頁12行目
そう決意された師は、ゴム長靴や地下足袋の行商をしながら病人がいるとためらわず手をかざして救って歩かれた。その一方で師は神の世界を解明するため日夜研鑽に励まれた。それは心霊研究や各宗教の研究・・・・・・

  

 2009年「崇教真光50年史」平成21年(2009)発行 
40頁行商を始める
41頁三段目 宗教研究、そして・・・黒住教、天理教、大本教、世界救世教など時にはその団体に所属してまで宗教研究をしました

 

この頃になるとインターネットの普及で情報が氾濫しヘタな作り話は通用しなくなり出来るだけ事実に近いかたちをとる

 

言えることは光玉は昭和34年のLH陽光子友の会を始める前に宗教で収入を得ていた、外気功など治療師としての技術も修行していたと「超宗教」

救世教を破門により失業した光玉は「多田建設」に入社となるのかな?


なんせ28歳年下の恋人を抱えてましたからね
偉いねー!よく頑張るよ光玉さんは


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「地上天国は家庭の天国化から」?よく言えるよ光玉さん

寸教462頁 地上天国は家庭の天国化から

個人の、ひとりの神向きというものは、まず家族ぐるみの神向になった時、初めてその燃える神向きが社会に広がるのである。なぜなら神様が人を産み、人間が親となって子を、子が親となって子孫を残すということが人類界の原理となり、家庭が集まって社会になっている限りは、人類社会の向上はどうしても家庭が根本になってくるからである。

「家族にいくら真吼えしてもダメなんです」という嘆きを時々耳にするが、それは自分の霊性の浄まりの不足と、それほどお導き燃えていないということを暴露しているようなものである。もちろん、頭ごなしに教えを言ったり、押しつけたりするのはよくないが、もし本当に家人を救いたいという願いと愛と真があれば、いろんな方法と方便が考えられ、諦めずにお導きし続けられるハズである。

特に自分自体が全く変わってみせることがまず大切だ。家族すら導けない想念では、いくら神向きしても、いくら偉そうな顔をして理屈いってみても、「神の子として種人を残し地上天国を築く」という大神業を遂行する上で、小さなお役しかできない魂といえよう。したがって、今後はいよいよ家ぐるみの神向が大切な時代なってくる。

初代光玉さんも2代目聖珠さんも
家族は一人も真光に入信していない

娘二人が入信していると言う話もあるが?


これほど勝手なことを平然といえるのは
組み手(信者)を見下げてるから出来るんです
とにかく人集め最優先です


光玉さんは奥さんと娘さん二人を捨てて離婚
井上甲子(2代聖珠)さんといい仲になっている


正確な時期は知るよしもないが
甲子さんが12歳から18歳の間と推測される
これは光玉さんが40歳から46歳の時である



光玉はただのドスケベー親父である
その証拠には光記念館には初代光玉のキンタマがある
(金色の光玉で略して「キンタマ」)



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神盗っ人 初代光玉も3代目光央もパクリ屋(盗用)

光玉は教えの中でよく「神盗っ人」という言葉をよく使う、これは多分自らの後ろめたさの裏返しでしょうね。光玉の言う盗っ人とは、神社仏閣などが観光地化したり駐車場や幼稚園の経営など宗教団体の副業ことを指しているようですが


崇教真光の教えは「大本」の分派の「世界救世教」を基本として天津教の「竹内文書」を加えて、状況に応じてキリスト教の「聖書」仏教の「お経」からそのまま各教団の教えを引用するんですね、そのつじつま合わせとして万教の基の教えとしてるんですよ

つまり光玉は神盗っ人の本家ですね

 

3代目も立派なパクリ(盗用)屋
下記の3代目光央の教示を読めばよく分かるでしょう、いっぱいあるけど一例です


真光誌5月号(608号)29頁7行目
キリスト・イエスは言います「その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。」


この部分「その時・・・」はどこでパクってきたんですか?光央はキリスト教の教えを受けたわけでもなく原典を研究したのでもないでしょう

3代目光央はインターネットで簡単に手に入る文章を恥ずかしげもなく堂々と教示として宣うんですね、どこまでも神盗っ人です

 

ネットで拝借した文章
何人もの人たちが翻訳したり研究したりしているんです
口語訳  しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
塚本訳 それらの苦難の日の後に、たちまち“日は暗く、月は光を放たず、”“星は”天から“落ち、もろもろの天体が”震われるであろう。
前田訳 その日の苦しみの直後に日はかげり、月は光を放たず、星は天から落ち、天体はゆられよう。
新共同 「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。

勝手に商売のネタに使うなよっ!
 



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岡田光玉はリストラに遭ったが宗教をつくって大成功した

人生の最後に宗教団体をつくって大儲けした光玉さん

-「最後の天の岩戸開き」 36頁7行目-
先生、おかげさまで大きな契約を済ませることが出来ました。これからは時々出社してくださればよろしいですよ。ご連絡いただければお車でお迎えに上がります」
 
とあるように光玉は「肩たたき」にあっている。

光玉のことを先生と呼ぶのは世界救世教での役職(所長)でしょうね、正確な時期は分かりませんが50歳代でしょう、女性問題で世界救世教の所長を解任になり、生活に困っていた光玉を多田建設が拾い上げ、その後に干渉解雇と言うのが私の憶測です
(多田建設には昭和28年から34年までの7年間働いていた)


39頁最後の行-建設会社へ入社して7年、師はついに借金を完済した。-

40頁4行目-家族は離散していた。師に従ったのはわずかに令嬢の聖珠様おひとりのみ父娘二人の厳しいスタートでもあった-
(光玉は奥さんと娘が2人いたが離婚していた、当然ですが真光では都合の悪いことは隠すんですね)

元々、宗教は儲かることを知っていた光玉は甲子(聖珠)とつるんでLH陽光子友の会を立ち上げて成功したんんですね

宗教は儲かるんです!
でも若者を特に若い女性を犠牲にするのは許せませんねー

 

「最後の天の岩戸開き」八坂東明(=3代目教祖光央のペンネーム)


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真光3代の教祖の略歴 実録と風説


 初代光玉
岡田良一→仲道・竜造・光玉→聖玉→聖凰 明治34年2月27日(1901-1974)

明治43年竹内巨麿により天津教の「竹内文書」公開 光玉は9歳だった
昭和10年(1935)元軍人の酒井勝軍により「竹内文書」解説の月刊誌「神秘の日本」発刊(1935-1939)
光玉は軍人で34歳~39歳の頃 たぶん愛読していたと思われる?これが後に上級研修と中級研修の元となる


 2代目聖珠山梨県出身
I甲子→恵珠→聖珠 昭和4年12月6日(1929-)

初代と2代目の二人がいつ知り合っていつどうなったかは正確なところは分かりませんが、
光玉さんが療養中に甲子(聖珠)さんの実家で世話になってたそうですが、このとき光玉さん40歳甲子(聖珠)さん12歳ですな?

昭和22年頃に光玉と聖珠は一緒に世界救世教に入信(岡田茂吉が教祖、光玉とは別人)

世界救世教入信時は46歳のオッさんと18歳の娘で愛人関係となるためには適齢期。八坂東明氏の「最後の天の岩戸開き」ではこの頃光玉は並木の坊さんのもとで観音下座の業をしていたことになっているけど

援助交際とはねー?離婚で2人の娘とも別離


昭和28年(1953)多田建設に入社、この頃の日本は朝鮮特需(南北戦争)の真っ最中で景気は良かった、元軍人の光玉さんはコネもあって営業は出来たでしょうね、また教団発表では靴の行商もしていたとあるが、当時は物資不足で売り物の靴が手に入るのが偉いもんですよ

 

昭和34年2月 L・H陽光子友の会立教 光玉さん57歳
光玉と聖珠は養子縁組
つまり光玉は自分の娘とヤッテたんかい?


昭和37年5月 第一回中級研修 10月第一回上級研修
このブログで問題にしている竹内文書のパクリの始まり

昭和49年(1974)光玉さん73歳の時に脳溢血で死亡
信者(組み手)が全員で手かざししても効かなかったそうですが?
光玉さん今頃は色欲道(地獄)で頑張ってるよ!


教団の分裂
世界救世教の2代目は関口氏となる、彼は教示の中で「恵珠は初代のこれだ!」と小指をさしだし(愛人・彼女の意味)ながら公言していたそうです

 2代継承問題で敗訴した聖珠さんは昭和53年(1978)に崇教真光を設立。
昭和59年(1984)世界総本山 元主大神宮建立

 3代目光央
(このブログでの呼び方)東京都出身
手島泰六→光弥→光央→聖真 昭和21年(1946- )
國學院大學文学部神道考古学専攻卒業、まあ当時は誰でも入れる三流大学ですよ

教団訓練部一期生となる。

平成5年(1993)光央さん47歳の時、聖珠の養子になる

平成14年(2002)お代理となる 晃弥
平成21年(2009)教え主(教祖)となる

「八坂東明」の筆名で崇教真光の解説書3部作の作者でもある
 


世界救世教の本山

崇教真光真光の本山

どちらも豪華です、儲かるんですね!




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「木仏金仏の時代は終わった」語るに落ちる光玉さん

前回に続いて607号からのネタです
M誌607 39頁5行目
-「木仏金仏の時代は終わった」と言っていらっしゃるように、木仏金仏では放射力が弱い。そこで私の霊体を通して光を集約させておいて皆さんのところへ行くようにする。私がレンズの様な役割をしている-

 

つまり
光玉の霊体→御み霊→信者(組み手)の順なんですね

 
木仏金仏の時代が終わってるのに
御み霊(真鍮製のペンダント)は信者(組み手)より上ですか?

揚げ足をとるのが本意ではありませんがパクリ(盗用)パクリの連続で整合性がとれなくなってるんですね。
パクリ屋光玉さん!サーッどうする


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語るに落ちる光玉

{真光誌607号33頁5行目}国常立神様が出現して、その警鐘を乱打したのが黒住教であり、御獄教、あるいは大本などであったのです。そして遂には真光教団を興された。{35頁2行目}天国文明の造り主・・・・そこで私(光玉)のみ役が宗教史上から言うと特殊なもの・・・・

以上は信者(組手)向けに言ってはいるが?
一般に言われているのは光玉は大本の流れの世界救世教の所長で教団から給料を貰っていた。(昭和27年に破門になる)初和30年に教祖の岡田茂吉氏が亡くなったあと昭和34年2月27日に「天地一切神の声・・・・」とか言って格好良くLH陽光子友の会を立ち上げた


手かざしは世界救世教が黒住教からパクリ、さらに光玉んが黒住教になかった額のお浄めをプラスしてLH陽光子友の会(真光)をつくった

しかし現在の一般社会では「手かざし」は遠赤外線による効果と思われている。つまり誰でも手(全身も)からは遠赤外線が出ており多生の癒やし効果はある、と言われている


この寄せ集めの教えが光玉さんにかかると「天地創造の神の地上代行者」になってしますからすごいですねー

と感心しているわけにはいきませんこの寄せ集めによって大勢の不幸な女達が犠牲になるのですから


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