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救世教と並木の坊さん 岡田光玉の失業

ばらばらに記載されている光玉の経歴1945~1952の7年間
第二次大戦:後の昭和20年(1945)から多田建設入社まで、光玉44才から51才で、聖珠(井上甲子)は16才から23才の頃で恋人 気分一杯の時期ですから、この期間の二人の経歴には教団も困ったでしょうね。出版物によりばらばらです


救世教関連の書籍「超宗教」では
光玉は救世教の幹部(給料を貰える教団の社員)となっている
そして昭和27年頃破門にしたとある、

光玉が聖珠(甲子)と一緒に救世教に入信したのは昭和22年と言われている



 1983年「大聖主 岡田光玉師」昭和60年6月初版
第二次大戦後 昭和20年(1945)~27年(1952)の頃のことは記載がない
昭和28年に多田建設に入社。光開発株式会社設立。そして昭和34年立教とある
 


 1994年「最後の天の岩戸開き」八坂東明・3代目教え主
32頁~35頁
「並木の坊さん」の元で「下座の行」「ス直の行」をしていたことになっている

  


 2007年「神の大経綸」 岡田晃弥・3代目教え主
18頁12行目
そう決意された師は、ゴム長靴や地下足袋の行商をしながら病人がいるとためらわず手をかざして救って歩かれた。その一方で師は神の世界を解明するため日夜研鑽に励まれた。それは心霊研究や各宗教の研究・・・・・・

  

 2009年「崇教真光50年史」平成21年(2009)発行 
40頁行商を始める
41頁三段目 宗教研究、そして・・・黒住教、天理教、大本教、世界救世教など時にはその団体に所属してまで宗教研究をしました

 

この頃になるとインターネットの普及で情報が氾濫しヘタな作り話は通用しなくなり出来るだけ事実に近いかたちをとる

 

言えることは光玉は昭和34年のLH陽光子友の会を始める前に宗教で収入を得ていた、外気功など治療師としての技術も修行していたと「超宗教」

救世教を破門により失業した光玉は「多田建設」に入社となるのかな?


なんせ28歳年下の恋人を抱えてましたからね
偉いねー!よく頑張るよ光玉さんは


御み霊とオキヨメで病気は治りません 真光3代の教祖とパクリの教えの実態 実録・魂を抜かれた組み手はゾンビになる実録・教団幹部と使い捨ての地元幹部
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No title
岡田光玉は多田建設に入社したが大林組とは関係ないのですね。
高山の世界総本山は大林組と金子工業(地元の建設会社)によって施工されました。
崇教真光では、岡田光玉は借金返済のために友人の紹介で大林組に入社し、岡田光玉が仕事の受注を大量に引っ張って来て大林組を大手ゼネコンへと成長させた。その恩返しをするために大林組は世界総本山の施工を引き受けてくれた、と教えられました。
さらに、世界総本山建設時に事故による死者はもちろん怪我人さえ一人も出なかったため、大林組と金子工業の工事関係者全員が組み手になったとまで聞かされました。
崇教真光とは、今思えばゼネコンさえ利用する俗物なんですね。
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