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真光3代の教祖の略歴 実録と風説


 初代光玉
岡田良一→仲道・竜造・光玉→聖玉→聖凰 明治34年2月27日(1901-1974)

明治43年竹内巨麿により天津教の「竹内文書」公開 光玉は9歳だった
昭和10年(1935)元軍人の酒井勝軍により「竹内文書」解説の月刊誌「神秘の日本」発刊(1935-1939)
光玉は軍人で34歳~39歳の頃 たぶん愛読していたと思われる?これが後に上級研修と中級研修の元となる


 2代目聖珠山梨県出身
I甲子→恵珠→聖珠 昭和4年12月6日(1929-)

初代と2代目の二人がいつ知り合っていつどうなったかは正確なところは分かりませんが、
光玉さんが療養中に甲子(聖珠)さんの実家で世話になってたそうですが、このとき光玉さん40歳甲子(聖珠)さん12歳ですな?

昭和22年頃に光玉と聖珠は一緒に世界救世教に入信(岡田茂吉が教祖、光玉とは別人)

世界救世教入信時は46歳のオッさんと18歳の娘で愛人関係となるためには適齢期。八坂東明氏の「最後の天の岩戸開き」ではこの頃光玉は並木の坊さんのもとで観音下座の業をしていたことになっているけど

援助交際とはねー?離婚で2人の娘とも別離


昭和28年(1953)多田建設に入社、この頃の日本は朝鮮特需(南北戦争)の真っ最中で景気は良かった、元軍人の光玉さんはコネもあって営業は出来たでしょうね、また教団発表では靴の行商もしていたとあるが、当時は物資不足で売り物の靴が手に入るのが偉いもんですよ

 

昭和34年2月 L・H陽光子友の会立教 光玉さん57歳
光玉と聖珠は養子縁組
つまり光玉は自分の娘とヤッテたんかい?


昭和37年5月 第一回中級研修 10月第一回上級研修
このブログで問題にしている竹内文書のパクリの始まり

昭和49年(1974)光玉さん73歳の時に脳溢血で死亡
信者(組み手)が全員で手かざししても効かなかったそうですが?
光玉さん今頃は色欲道(地獄)で頑張ってるよ!


教団の分裂
世界救世教の2代目は関口氏となる、彼は教示の中で「恵珠は初代のこれだ!」と小指をさしだし(愛人・彼女の意味)ながら公言していたそうです

 2代継承問題で敗訴した聖珠さんは昭和53年(1978)に崇教真光を設立。
昭和59年(1984)世界総本山 元主大神宮建立

 3代目光央
(このブログでの呼び方)東京都出身
手島泰六→光弥→光央→聖真 昭和21年(1946- )
國學院大學文学部神道考古学専攻卒業、まあ当時は誰でも入れる三流大学ですよ

教団訓練部一期生となる。

平成5年(1993)光央さん47歳の時、聖珠の養子になる

平成14年(2002)お代理となる 晃弥
平成21年(2009)教え主(教祖)となる

「八坂東明」の筆名で崇教真光の解説書3部作の作者でもある
 


世界救世教の本山

崇教真光真光の本山

どちらも豪華です、儲かるんですね!




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