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私自身は神の実在を信じています

神様は信じますが崇教真光は別です

神を信じるからこそ崇教真光で20年も率先して活動をしてきました、途中何度も疑問を感じる「教え」や「出来事」もありましたが迷いを振り切って教えを実践してきたつもりです。


このブログで教団幹部を批判したり若い女性を自分の独断で「不幸になった」とか「開放する」とか書いていますが、これは崇教真光教団の低レベルな教えと知性の低い幹部たちの実態を暴いて



不幸の連鎖を断ち切りたいと考えています。


もし崇教真光が本物の神様を信仰しているのなら、このブログを書いている私の身に何事か重大な「災厄」が起こるはずです。つまりこのブログが続いている限り私の主張が正しいことになります

どうか皆さんご覧くださいませ!

-ブログの筆者 高丙文-


残念ですが私は文章を書くのがあまり得意ではありません(-.-)
このブログの登場人物は私が実際に触れ合った実在の人たちです
イニシャルは苗字を先に書いています(山田花子⇒YH子)
 
写真は本文と関係ありませんが、最近私が自分で撮ったものを挿入しています


御み霊とオキヨメで病気は治りません 真光3代の教祖とパクリの教えの実態 実録・魂を抜かれた組み手はゾンビになる実録・教団幹部と使い捨ての地元幹部
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No title
目が覚める人と覚めない人の違い。
25年やってしまった自分が思うには...
恐怖信仰に縛られた人(神のスクラムからはずれるのは種人になれず
家の曇りと自分の罪穢により地獄の業火に焼かれる)

又長くなると御奉納額が高額になるので「こんなにお金を出したのに。
こんなに自分を犠牲にして教団活動してきたのに」
ギャンブルと同じで出せば出すほど元をとりたくて続けるしかなくなる悪循環に陥ります。

疑問を持ち質問すると
「不平不満はいけない。問答無用手をかざせ」と言われます。
並木の坊さんの話を持ち出され理不尽な事もス直にやりこなせば
修行は終わる。悩みは置いて置いて御神業をしろと。
お前の魂は汚い。御霊さんにひどい事をしたのに御神業を許されている。
御神業こそ御霊磨き、罪穢が深いなど徹底的に自分の存在を否定されます。これしか救われない、そうしないと地獄の業火に焼かれると。
教迫信仰です。何をされても感謝なのですから。

子供のいじめだって、いじめてくれた子は曇りを積んでまで貴方の魂をきれいに磨いてくれた磨き役になってくれたのだから感謝しろと。
御玉串をあげろと。

やめられた人は客観的に自分を見られた人です。
やっても幸せになった組み手を見た事が無いから。
いえ、一所懸命だったみ役者がどんどん病気になったりして活動出来なくなると放っておき研修を受けるよう未組み手の事しか考えません。
ひと救いとは初研を受けさせることなんです。
入ってしまえば困ってようが苦しんでようが「御神業しろ」とだけで。
教団の奴隷になる事なんです。このむなしさに気づけばやめられます。

皆自分の生活を犠牲にしてやってるんです。
早朝から深夜まで。真吼え真配り手かざしに道場の掃除、掛布座布団カバーの洗濯に農園、研修中の幹部の3食の食事おやつ付きおみやげ付きも作り。ビールは恵比寿ビール...費用出して夜中から作って届けて...

もう疲れ果てました。無休無給の奴隷人生でした。
やめて本当に幸せです。神様に感謝してます。
自分の為に人生を歩んでいきます。
恐怖で縛りお金と時間と労働力を奪われるだけです。

progress さんへ、
確かに、私が組み手であった頃(15年前)は、自宅を売るまではいきませんが、土地・車を売ったり、借金をしたりして世界総本山に参拝に行く組み手はいましたが、近年のブラジルは景気鈍化とインフレ率の上昇のため、ミドルクラスであっても生活をするのに精一杯といった状況なので、研修受講者数も減ったのではないでしょうか。

昔と比べ、現在では崇教真光の実態の告発サイトが、私のポ語サイトも含め、多数立ち上げられ、SM教団のイカサマが露見されているので、少なくとも信者の多くが疑問を抱くようになったと思いたいですが、ブラジルと同様に日本の真光隊も依然として貴重な青春時代をそれこそ偽物の組織のために無駄に費やしていることは実に残念ですね。

後悔先に立たずと言いますが。

キャリーさんへ
海外組み手であったキャリーさんに質問したいことがあるのですが、宜しいでしょうか?
日本では、世界総本山に参拝に来られる海外組み手さんの多くが自宅を売るなど全財産を処分してまで来日費用を工面されると教えられているのですが、本当でしょうか?
だから、日本の真光隊では全財産を処分してでも教団に奉納したいと思えないような隊員は、偽物の隊員である。と指導されることがあるのです。

申し訳ないのですが、よろしくお願いします。
pazoさんへ
体験上言えることは、教団に関する諸々の事実を知っても教団に居続ける組み手は「自己の都合で入信」したからです。自己の都合とは、病気治しとかカルマ消しとか御利益を得たいといったことです。

このように、自分たちに都合の良い事柄だけをアッピールする教団であれば、何があっても信じたいわけで、大抵の人は自分の希望を代弁してくれそうな宗教を信じるだけで、神とか教祖とかはあまり関係ないのです。

反面、「世救い」、「世直し」、「自己改革」といった理念に基いて入信した場合、それ等の目標を達成できないか、阻害するものがあれば疑問に思い、徹底して追及し、真相が解明すれば教団に居続ける意味がなくなり、即脱会するわけです。

そもそも真光では「病・貧・争・災」を不幸現象と呼び、元はカルマといい、神の光で消すことができるといいますが、「病・貧・争・災」をカルマとか霊の仕業だということは神の全知・全能性を否定することになり、悪霊は神よりもパワフルだということになります。

本物の宗教・教えであるならば、普遍的なことを説くはずで、人生の悩み・苦しみの真の意味・目的を問いかける、つまり「なぜ自分はこのように苦しまなければならないのか」と、まず自己を見つめなおすことを促し、苦しみから己を解放する方法を自ら探し出させることが宗教の原点の作業なのではないでしょうか?

不幸現象は神が人類に与える試練で、その試練を乗り越え、神のような人間になるのが人類の役目、というならば納得できますが、悪霊が起こす病・貧・争・災を一々神の光を当てて避けて行かなければならず、しかも神の光を放射するには崇教真光教団が販売するアンテナ(メダル)を首からかけなければならないとは、どうみても道理に合わないというか、矛盾した話だと思います。
ブログ興味深く読ませていただいてます。私は妻が熱心な組み手で結婚を気に入信しました。あまり馴染めませんが時折道場もかよっています。いずれの宗教も信じている人を否定するつもりはないのですが、前々から光玉氏の経歴は、教団で伝えられている内容は事実と違っているときになっていました。もしどんな経歴であれ事実のままなら伝えられているなら信用できますが、明らかに捏造されてしまっていることに危うさを感じております。しかし組み手の間ではそうした話しはされず、その点が盲信というものなのか思います。このブログを読んで目が覚める人と読んでも目を閉じきってしまう人の違いは何処にあるのでしょうか?

今後も執筆楽しみ拝読させていただきます。
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