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真光の御神体がヤフオクに出品されました!日本国内で!

コメント欄に情報を頂いたので取り急ぎ紹介させて頂きます。私もよく分かりませんが日にちが迫っているのでそのまま掲載しました。詳細は下記のアドレスをクリックしてご自身で確かめてください。
http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f142179926?al=11
通販サイトですから買い手がつくとリンク切れになるかも知れません(20141210-pm18:30)
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画像をクリックすると大きく見やすくなります
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http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f142179926?al=11

出品者は「崇教真光」側ではなく「世界真光文明教団」側のようですね、いずれにせよ真光に神様はいないことが浸透してきましたネー

神仏を敬うことと、真光の「インチキ御神体」を粗末にすることは別の話です。


オミタマの写真を見ると目が覚める!オキヨメで病気は治りません 真光3代の教祖とパクリの教えの実態 実録・貧困と病気の信者達実録・教団幹部と使い捨ての地元幹部


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Comment
御神体として霊石が納め
このコメントは非常に興味をひかれました。脱会した元組み手さんありがとうございます。

かなり前ですが幹部の市川勝一が「口が裂けても言えない」と思わせぶりに語っていましたが?「霊石」とは面白いですね。
出品者は火の洗礼に於いて地獄行き…?
No title
真光裁判の真実は、甲子側が裁判所の再三の呼び出しにも応じず、裁判そのものを拒否して引き伸ばし、最終的に和解に応じたことで終了したモノであり、争うのを避けたように見せてはいますが、御本部もその他一部の主要道場及び施設は関口氏が物件を抑え、名称及びシンボルである御神紋の使用を禁じられ、甲子女史には住まいである陽霊元み魂座だけ残ったんですよ。
因みに、総本山の候補地は伊豆以外にも数ヶ所あって、飛騨、信州など含めた候補地の多くは関東側に集中していました。
最も光玉が建設したがっていた場所は富士の裾野であり、伊豆は一番ではなかったんです。
その理由は、霊峰富士を望む場所に本山を建てて、富士山を御神体として仰ぎたかったからだそう。
崇教の緞帳が富士の霊峰と雲海である理由は、そこから来ています。
また、本山の御神殿にある神輿の中には、御神体として霊石が納められていますが、その石はどこからもってきたか知っていますか!?
大本の本部同様に、崇教も富士山から貰い受けたという噂もありますよ。
なので、本物の富士山の石かどうかは実物を見てません(見れない)ので確かめようがありませんが、一般組み手は神輿の中に何が置かれているか知らないと思います。
No title
信者時代は真光裁判については、「神様は争う事をお嫌いです。裁く事も。
ゆえに2代目継承についての証拠はたくさんあるが、御神事等世間に公に公開が許されない物が多くて証拠も出さず一切の反論もせず恵珠はひたすら耐えて関口さんの救われだけを念じてただけであった」と。

「そのおかげで、のんびりしてた組み手が発奮して世界総本山が完成した。
人類の為に神様がお仕組みになった事。だから、ほとんどの組み手が文明に残らず崇教についた。」

これを聞いて何をされても何を言われても耐えしのいだのだと思ってたけど、田園調布の破壊事件を知って、とても正神を抱く組織がする事じゃないですよね。明け渡すにしても破壊するなんて暴力団さながらですね。

「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」も、後から教団幹部が考えて書いたものだそう。
関口氏を快く思わない幹部達が氏の下につくのを嫌い甲子氏を教祖にと担いだとか。
その時は甲子氏も「2代は関口さんにまかせなさいとお父様(光玉)に聞かされてた。そんな事できません」と固辞するも幹部達に押し切られまつり上げられる。(ただの人形ですが)

ス座建立も伊豆と示されてた(本山の緞帳はその時に光玉氏が見た熱海の
富士山の雲海)
だが文明が先に伊豆に聖地を。仕方無く高山に。

嘘で塗り固めた組織だったのである。


No title
分裂当時、各地で関口派と甲子派に分かれ、道場の利権をめぐって乗っ取りなどの奪い合いがありました。
その最も大きな抗争事件が中野の事件です。
したがって負けた側が道場を追い出され、新たに道場を開くという事が実際にあったのですよ。
但し、地方は比較的親道場のいいなりになって、大多数が甲子側に付きましたが、首都圏及び各主要都市部では管理を巡っての抗争はあったようです。
その後、裁判が終了するまで様子見をしていた組み手も、文明から崇教へ、または崇教から文明へと流れて行く人もいたのです。
ですが、先に甲子側が3~4年の月日で本山を高山に建てます。
元々、光玉存命中に上がっていた候補地の一つだったので、最初の建設予定地だった伊豆の聖地に文明が本山建設を着手し、素早く行動を起こした崇教が、独立してすぐに建設を着手したのが高山でした。
そのため、当時でもかなりマスコミが騒いで、ワイドショーネタにされたこともあります。
アレだけド派手な御殿を建てれば、当然ですがバブル絶頂期のさなかでも人目を惹きますからね、建設に協力した某ゼネコン幹部も数名ですが研修受講したりして、話題にもなったんですよ。
ですので、光玉直筆の御神体は今ではレアものですから、双方の本部が欲しいんじゃないですかね。
しかも聖凰時代のモノではなく、聖玉時代となると数は決して多くありません。
御神体は、一度お迎えしても本部からの指示で、祝言集同様変更がある度、買い替えるんですって。
だから、今回出展の者は現役の信者ではないと思われます。
随分前に辞められ、そのままになって仕舞われていた物をご本人が亡くなられたかして、形見分けとかで処分に困って身内の方が出してこられた可能性がありますね。
昔は自宅を道場(拠点)として開放されていた御宅も多かったので、おそらくそういった家の方ではないでしょうか。
まあ、ヤメタ人間や未組み手には何の価値もない無用の長物ですね。
売り主は業者さんですね。
出品者はいろいろな掛け軸を売られてる業者さんのようです。
と言う事は個人が持ち込んだのでしょうかね。
個人用か道場用かが気になりますね。
道場用であれば幹部さんの流出が考えられますよね。
どのみち文明信者だけでなく崇教に移った信者の可能性もありますね。
道場用?個人用?
画像には昭和42年(1967)8月に光玉氏が書いてますね。
当時は世界真光文明教団でした。昭和49年(1974)6月光玉氏死去。
昭和52年(1977)最高裁の判決を得て関口榮氏2代目就任(真光裁判)
昭和53年(1978)恵珠崇教真光設立。

これは個人が戴く御神体でしょうか?
それとも道場の御神体でしょうか?
当時分裂に際し崇教派が本部の田園調布の道場をめちゃめちゃに破壊したとか聞きました。他の道場でも持ち出しもあったのでは無いでしょうか?
もしかしたらこの御神体も崇教にいった方の可能性もありますよね。
売り主は業者では無く個人所有みたいですよね。

多分古い組み手さんで亡くなったりしてお孫さんとかが売りに出したとか?
ヤフオクの御神体
いかにもばかっぽい!!
よくこんなものを信じる人がいるもんだ!!
(^o^)
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