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    岡田光玉のパクリ屋人生と神様商売の半生

    日本の宗教法人の数は18万社もあり、その信者数の合計は2億人近いとも言われています、各教団の水増しと重複によるものでしょうね。真光は7から9団体?もあるそうです。ここでは岡田光玉がいろいろな教団から教えをパクリながら、時代の後押しも受けながら自らが教祖へ登ってゆく様を説明しています。

    下記の図を1回、2回クリックしてください大きく見やすくなります!
    岡田光玉の世界真光文明教へ至る道

    s001.gif新憲法による宗教の自由 s002.gif高度経済成長期 s003.gif国民皆保険(国保)導入、この3つに注目してご覧ください 。1945年(昭和20)年 8月広島、長崎への原爆投下、日本は無条件降伏をした。
    ◆第二次世界大戦 終戦 敗戦国となった日本はアメリカの占領下となる。
    s001.gif1947(昭和22年)5月3日 主な都市は焼け野原となった終戦から2年後新憲法施行によって宗教的結社の自由が認められ、新興宗教にとっては都合の良い時代が到来した。



    光玉は「世界救世教」に入信したが5年で破門
    1947年(昭和22年)岡田良一(光玉)は47才の時に世界救世教に入信、二年後に教団幹部となり宗教で収入を得ていた。が1952(昭和27年)勝手な解釈行動から教団を破門となる。ココで光玉がパクッた教えが、世界救世教でのお光りさんは⇒御み霊、浄霊⇒お浄め、自然農法⇒陽光農法、手かざしはそのまま手かざし。その他いろいろ宗教的なノウハウはココで覚えた。

    「竹内文書」からのパクリ
    ス神7次元神界五色人などその他の用語は竹内文書からパクる。光玉は茨城県の皇祖皇太神宮へ通って竹内文書のお勉強をしていた。当時の宮司さんが証言している。

    また竹内文書研究の第一人者である高坂和導氏も熱海に1週間泊まり込みで光玉と聖珠に直接指導(すべて録音)し、教えにも取り入れられていると近い関係者は言っている。高坂和道氏と竹内文書 

     1953年(昭和28年)頃?kotama.gif岡田龍造を名乗る(光玉が)
    光玉は龍造先生と呼ばれ手かざし商売をしていた。マッサージ師・気功も?


    s002.gif1955年(昭和30年)頃から日本は高度経済成長期がはじまり、同時に新興宗教の開花期ともなった。戦災による焼け野原からの復興。追い風となった朝鮮動乱・ベトナム戦争による戦争特需などによって日本人の生活は急激に豊かになった。人口は年々増え、井戸から水道へ、薪や炭から都市ガスとなり、洗濯機、炊飯器、ガス器具など文明の利器が溢れ、主婦は重労働だった家事から解放された
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    が一部の無知な女性は新興宗教のオバサンとなって教団のために狂奔した。当時の女性は社会進出する環境が少なかったのです。また核家族化によって先祖からの神社、寺院とのつながりが弱まったことも新興宗教にとって好都合だった。1956(昭31)創価学会員で元プロ野球選手だった白木義一郎氏が参議院に初当選した(公明党の第一号議員)
     



    ◆怪しいオヤジと無知なおばさん(班長さん)
    この宗教オバさんをカモにした神様商売の光玉が営業開始!下記の写真からも実物の光玉は変なオヤジだったことがお解りいただけるでしょう!組手の皆さんが知っている救い主様は死後教団によりウソ偽りで飾られた虚像なのです!
    0728koutama01.jpg  0728koutama02.jpg 
    いずれも「光玉師御写真集」より 左111頁 右66頁

    LH陽光子友の会設立
    1959年(昭和34年)kotama.gif光玉を名乗る
    1961年(昭和36年)kotama.gif聖玉を名乗る(光玉が)


    s003.gif1961年(昭和36年)に国民皆保険制度(国保)の導入と医療技術の進歩によって日本人の多くが病気の不安から解放された。例えば、これより前は高齢者は歯が抜けているのは普通だった、結核は不治の病で身代をつぶす{破産}と言われていた。(この年までは公的な医療保障はなかった)




    光玉の真光の業の正体とは日本経済の発展と健康保険と医療制度の充実。無知な(当時の)おばさん達をダマして、光玉は(うちの)神様の御守護としたのです。病気の治療は病院へ御守護御礼は教団へつまり医と十字に組むこれこそ最も大きなパクリでしょう。光玉の霊術なんか誰も見たことないはず?教団が勝手に宣伝してるだけです。


    宗教法人を設立、ここではじめて「立教」した
    (宗教法人)世界真光文明教 設立1963年(昭和38年)
    1968年〈昭和43年)kotama.gif聖凰を名乗る(光玉が)
    1972年(昭和47年)kotama.gif救い主を名乗る(光玉が)2年後病死

    ◆光玉の死亡と跡目相続争い
    1974年(昭和49年)6月光玉病死。大口出資者の関口栄氏(運送屋のオヤジ)と愛人の聖珠との間に跡目相続争いが始まる。関口氏は「聖珠は救い主様のコレだよ」と小指を出すしぐさ(妾の意味)をしたとか「導士なんてのは社会的に使い物にならない奴にやらせときゃいいんだよ」とも言っていたことが伝えられている。2年後に決着して関口氏が「世界真光文明教」を継承
     
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     二代教え主 聖峰(関口栄1909-1994 三ツ矢タクシー(株)を経営していた)現在は三代教え主聖翔(関口勝利)昭和14年生まれ
     
    愛人でも立教できる!
    裁判で負けた聖珠は「崇教真光」をはじめる
     
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    初代光玉の愛人が二代教え主聖珠(甲子)で、その聖珠の愛人の息子が三代目教え主光央(泰六)である。崇教真光は愛人系真光と呼ぶべきでしょうね。
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    二代目教え主聖珠 平成28年9月18日死去 享年86才(1929-2016) 

     転職組も独立?光玉病死の3月前のどさくさ に「神幽現救世真光文明教団」は山梨県の教員だった依田君美(1916-2003)が入信から僅か4年目、光玉病死前の混乱に乗じて独立して「救い主」を名乗っている。
     
    岡田光玉と真光osienusinoimage.jpg 
    現在は君美の長男である依田美希が教主らしい

     分裂・独立した新教え主達は光玉には霊能力などなく?誰にでもできることを見抜いていた証拠である。彼等は永年、光玉の傍で見ていたんですから一番よく知っているはずです!神様商売は儲かる!

    詳しくは知らないが分裂・独立によって真光系と呼ばれる宗教団体が7ツから9ツくらいあるらしい?


    ◆新興宗教の衰退期
    平成になるとオウム真理教の地下鉄サリン事件、法の華三法の福永法源、ライフスペースなど問題が明るみにでて新興宗教は全体に下火となる。さらに少子高齢化の進行、人口減少によって、信者数は必然的に減少し今後は逃げ遅れた現役組手(信者)への負担がますます大きくなってゆくでしょう?

    結論
    若者は早く逃げなさい!



    光玉の経歴【年表2】 真光のウソつき体験談は光玉から始まった!

    ■1945(昭和20年)8月15日第二次世界大戦終わる
    これより↓日本人の多くが「戦後」と呼ぶ時代。宗教屋の光玉はこの戦後の混乱と復興期に生まれたと言えるでしょう。

    岡田良一(光玉)は天空の彼方から「手をかざせ」の声を聴いて(昭和20年に?)苦しんでいた犬にむかって手かざし、飼い主から回復のお礼に2千円(現在の貨幣価値で2百万円相当)を貰う。この時のお金が行商の元手となり順調に借金の返済ができた。(祟教真光50年史40ページに『救い主様が神の声を聞かれた最初です』)犬への手かざし詳細 借金の返済はしていない詳細
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    ■1946昭21 日本国憲法発布・宗教的結社の自由  手島泰六が誕生(光央)
    ■1947昭22年 岡田良一(光玉)と井上甲子(聖珠)が一緒に世界救世教に入信
    ■1948昭23
    ■1949 昭24年光玉は世界救世教において幹部(教団の従業員)として宗教による収入を得ていた。岡田良一(光玉)は「仲道」を名のり仲道先生とか呼ばれて(呼ばせて)いた。
    ■1949昭24
    ■1950昭25朝鮮動乱朝鮮特需で 米軍からの発注により日本は経済的に大きく発展した
    ■1951昭26サンフランシスコ講和条約 日本国独立
    ■1952昭27年 岡田良一(光玉)世界救世教を破門になる(失業した)
    ■1952
    ■1953 昭28年岡田良一(光玉)が光開発(不動産屋ブローカー)はじめる、多田建設の傘下 岡田良一(光玉)は 「龍造」の名を使って手かざしをしていた
    ■1954昭29
    ■1955昭30 日本経済の高度成長期始まる。世界救世教の岡田茂吉 昇天(光玉と同姓だが他人)
    ■1956昭31
    ■1957昭32
    ■1958昭33
    ■1959昭34伊勢湾台風
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    岡田良一(光玉)は妻子と離別・愛人の聖珠と養子縁組ここで初めて「光玉」を名のる 「私の家の神様を拝んでいたら大きな声で『光玉と名のれ厳しき世となるべし』の声が聞こえたのです」・・・{御対談集280頁}5日間の高熱で人事不省の話は嘘・・・「・・・ふと犬に手をかざしてみたら犬の病気が治ちゃった・・・」LH陽光子の友を設立したが宗教法人ではなく個人的な組織で立教とは言えない。

    ■1960昭35 日米安保(60年安保)ベトナム特需
    ■1961昭36国民皆保険(国保)8月に光玉は「聖玉」を名のる、「光玉は仮に示せし名なり」と御神示。{真光五〇年史の55頁}同時に「真光呂」も名のる。
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    ■1962昭37第一回中級研修5月1日 上級研修11月10日
    ■1963昭38 ケネディ大統領暗殺
    宗教法人「世界真光文明教団」ここで初めて立教。光玉はすでに62才(当時は55才が定年だったから相当な高齢でした)
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    ■1964昭39 東京オリンピック  7月に初台で光央が初級研修
    ■1965昭40
    ■1966昭41
    ■1967昭42
    ■1968 昭43年5月光玉は「聖凰」を名のる
    ■1969昭44 東名高速道路開通 アポロ月到着
    ■1970昭45年「神慈秀明会」会主小山美秀子(みほこ)
    ■1971昭46年 真光隊(青年真光隊統一)
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    ■1972昭47 札幌冬季オリンピック・沖縄返還
    10月光玉は「救い主」を名のる 熱海元み霊座
    ■1973昭48
    ■1974昭49年 3月に依田 君美(よだきみよし)が「神幽現救世真光文明教団」を設立
    6月23日光玉病死 享年73歳 2代目継承問題裁判へ 関口栄(65歳)が世界真光文明教二代目を継承 
    ■1975昭50
    ■1976昭51
    ■1977昭52
    ■1978昭53年日中和平友好条約
    宗教法人「崇教真光」を設立 裁判で敗れた恵珠(聖珠)が二代目
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    ■1979昭54
    ■1980昭55
    ■1981昭56 「幸福の科学」大川隆法
    ■1982昭57
    ■1983昭58
    ■1984昭59年祟教真光の本山「元主大神宮」建立「聖珠」を名乗る。
    麻原 彰晃による「 オウム真理教」始まる
    ■1985昭60
    ■1986昭61
    ■1987昭62
    ■1988昭63年 本山で映画大霊界の撮影 丹波哲郎

    ■1989平成元年  昭和64年1月7日昭和天皇崩御
    ■1990平2
    ■1991平3年真光正法之會
    ■1992平4年光神殿完成
    ■1993平5年岡田晃弥(手島泰六)養子になる
    ■1994平6年世界真光文明教の聖峰(関口栄)死去
    ■1995平7年1月17日阪神淡路大震災 3月20日オウム真理教による 地下鉄サリン事件
    ■1996平8 アトランタオリンピック「オウム真理教」法人格喪失するが「アレフ」として存続
    ■1997平9
    ■1998平10
    ■1999平11年 光記念館・開館4月
    ■2000平12年 シドニーオリンピック
    ■2001平13
    ■2002平14年光央(晃弥・手島泰六)が三代目代理
    ■2003平15
    ■2004平16年 アテネオリンピック
    ■2005平17
    ■2006平18年 悠仁親王殿下誕生
    ■2007平19
    ■2008平20年 北京オリンピック
    ■2009平21年オバマ大統領 11月1日光央が三代目教え主
    ■2010平22
    ■2011平23年 東日本大震災3月11日
    ■2012平24年 ロンドンオリンピック
    ■2013平25
    ■2014平26
    ■2015平27
    ■2016平28年 リオ・オリンピック 
    9月18日祟教真光の聖珠が死亡  享年86才
    ■2017平29
    ■2018平30




    光玉の経歴【年表1】光玉がパクった新興宗教・明治・大正・昭和初期

    世界真光文明教、祟教真光などでは初代教え主の光玉が「天地一切神の声・・・」と神の声を聞いて立教した事になっているが真っ赤な嘘。真光の教えは広く浅く(良いとこ取り)パクって作り上げたまがい物である。

    「大本」立教 開祖出口ナオ(55歳)「三千世界一度に咲く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ」 大本の立教(1892)おほもとhttp://www.oomoto.or.jp/ 日本の神道系新興宗教の元祖のような教団で霊能者出口ナオ(左)、出口王仁三郎(右)によって設立された。艮の金神(国常立尊)を信仰し大きな力を持っていた。軍人も多く入信したためか「大本弾圧事件」と呼ばれるほどの攻撃を政府より2回もうけている。生長の家、世界救世教などの教団が大本から独立している。0728nao.jpg 0728onisaburou.jpg
    ■1893 26
    ■1894明治27 日清戦争
    ■1895明治28台湾併合(日本領) 
    ■1896 29
    ■1897 30
    ■1898 31
    ■1899明治32 出口王仁三郎(上田喜三郎)大本へ
    ■1900明治33出口王仁三郎(28歳)がナオの五女スミコと結婚
    ■1901img_o014.gif明治34年 岡田良一(光玉)誕生
    ■1902 35
    ■1903 36
    ■1904明治37 日露戦争 
    ■1905 38
    ■1906 39
    ■1907 40
    ■1908 41
    ■1909 明治42年 img_o012.gif関口栄 誕生(世界真光文明教2代目教え主)
    ■1910 43 韓国併合
    竹内巨麿が「竹内文書」公開 天津教を興す後に宗教法人皇祖皇太神宮天津教となる(茨城県北茨城市) 
    ■1911 44

    1912大正元年 7月30日までが明治45年
    ■1913大 2
    ■1914大 3
    ■1915大 4
    ■1916大 5 
    ■1917 大正6年 img_o012.gif光玉の父・岡田稲三郎陸軍主計官が54歳で死亡(光玉は16才)
    ■1918大 7
    ■1919大 8 第1次大本弾圧事件
    ■1920 大正9年 img_o014.gif岡田良一(光玉)陸軍士官学校入学 
    ■1921大10 出口王仁三郎「霊界物語」第一巻発行 酒井勝軍:「竹内文書の解説書月刊「神秘の日本」を発刊 
    ■1922 大正11年 img_o014.gif岡田良一(光玉)陸軍士官学校卒業
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    ■1923大12 関東大震災  
    ■1924大13
    ■1925大14

    1926 昭和元年 12月25日までが大正15年
    ■1927昭2
    ■1928昭3
    竹内文書の公開 皇祖皇太神宮http://www.kousokoutaijingu.or.jp/ 竹内巨麿(左)によって公開され酒井勝軍(右)らによって解釈され広められた文献。およその内容は古代の天皇が世界(地球)を支配していた、日本は世界のひな形。 過激な日本軍人がこの「竹内文書」に心酔し大東亜共栄圏構想(アジアの植民地支配)、八紘一宇などへつながり危険な思想へと展開。天皇に対する不敬罪で裁判、無罪となるが「竹内文献」の資料は戦火により焼失する。
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    ■1929昭4年6月井上甲子(恵珠・聖珠)誕生
    ■1930昭5年img_o012.gif谷口雅春が 大本の分派「生長の家」を創設img_o012.gif11月牧口常三郎初代会長と戸田城聖第二代会長によって「創価学会」設立
    ■1931昭6
    ■1932昭7
    ■1933昭8
    ■1934昭9
    ■1935昭10第2次「大本」弾圧事件 壊滅的被害
     0728katutoki02.jpg 
    ■1935年(昭和10年)ころ酒井勝軍は竹内文書の解説書で月刊誌「神秘の日本」を3年間刊行していた、光玉(岡田良一)が30才代半ばだったので愛読していたかも知れない???戦後は皇祖皇太神宮へ通っていた。光玉は竹内文書にかなり心酔?

    「世界救世教」立教:「大本」の幹部だった岡田茂吉(54歳)が「大本」に対する二回目の宗教弾圧によって壊滅的ダメージを受けている隙に立教。特徴は宗教というモノは金集め、人集めは必須であると公言している。美術品にも深い造詣がありMOA美術館(真光では光記念館として真似ている)を設立してりる。「おひかり」と言うペンダントを首にかけ「浄霊」急所に「手かざし」をして病気を癒やす?真光では「オミタマ」「オキヨメ」「手かざし」
    (岡田茂吉↓岡田光玉とは同姓だが血縁関係はない)
     MS61.jpg  okada_mokichi.jpg 
    世界救世教と世界救世教いづのめ教団は同じモノかどうかは私は知りませんが?まあ似てる。http://www.izunome.jp/
     0801gosinden01.jpg
     御神殿も真光とソックリ(こちらが本家)ですが岡田茂吉氏の写真が飾ってある。

    ■1936昭11 二.二六事件
    ■1937昭12 日中戦争始まる
    ■1938 img_o014.gif昭13年岡田良一(光玉)落馬(3ヶ月の入院)
    ■1939昭14第二次世界大戦始まる
    ■1940 昭15
    ■1941昭16 太平洋戦争始まる
     img_o014.gif岡田良一(光玉) 仏印軍司令部付 鉄道輸送責任者(大聖主68ページ)脊椎カリエス再発 養生先で井上甲子(恵珠・聖珠)と出会う 光玉 飛行機会社?着手 
    ■1942昭17 ミッドウェー海戦日本軍大敗 
    img_o014.gif岡田良一(光玉)は飛行機会社?設立。 光玉は王侯のような生活(会社が儲かっていたと光玉は言うが?たったの3年では無理)実は妻の実家の遺産を食い潰して豪遊していた。
    ■1943 昭18
    ■1944昭19サイパン島の日本軍玉砕
    ■1945昭20 長崎・広島に原爆投下 img_o014.gif光玉の飛行機会社?空爆で焼失 
    8月15日第二次世界大戦終わる◆第二次世界大戦 終戦 広島、長崎への原爆投下、主な都市は焼け野原となり、ポツダム宣言受諾。日本はアメリカの占領下となる 写真はGHQマッカーサー元帥
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    光玉の経歴【年表2】戦後から立教・病死まで
    光玉が影響を受けていた幕末の三大新宗教 
    黒住教(1814)http://kurozumikyo.com/ 天理教(1838)http://www.tenrikyo.or.jp/ 金光教(1859)http://www.konkokyo.or.jp/ 光玉は黒住教、天理教など・・・を勉強していたらしい?「崇教真光五十年史」41頁3段目 




    岡田光玉は妻の実家の財産で豪遊・・用無しの妻とは離婚


    2月27日は岡田光玉の誕生日で「御光誕祭」とか言うらしいが、経歴を見ると卑しい男だったことが解ります。ただし教団発行の出版物(御神書)には光玉に妻がいて離婚していることは一切書かれてないが?また二代聖珠の前歴についても同じです。教団の存亡に関わる秘密ですから当然!しかし現実にはほとんどの信者が知っていることですね。

    たった一行だけ
    義父さまの経営されていた繊維会社を引き継ぎ(崇教真光50年史38頁5行目)という記述がある。私の知る限りこの一行だけである
     
    uritake022.jpg 
    傷痍軍人だった光玉は28歳年下の愛人聖珠(甲子)と生き延びるのが精一杯だった、この光玉の生きる術が神様商売真光なのです

    真光の初代教え主(教祖)である光玉は戦争で全財産焼け出され「王侯の如き生活からルンペン(乞食)になった」とあるが、この焼け出された全財産とは妻の実家の遺産である。王侯の如き生活とは妻の遺産を使って豪遊していた、そして二代教え主聖珠(甲子)とはすでに愛人関係であったと思われます。その後戦火による焼失もふくめ全財産を使い果たすと離婚しているのです。

     ◆光玉が会社経営に関わったのは昭和17年から昭和20年8月敗戦までの約3年くらいで、現在と違ってすべて手作りの時代ですから工場建設だけでも簡単ではなく、しかも日本軍はすでに劣勢が噂され新規事業の立ち上げはできなかったはず?しかし既存の会社を食い潰す事はできたでしょう!! 
    ◆戦後(第二次世界大戦)は日本人誰もが生きるか死ぬかの苦労したのですが、光玉も行商(闇屋、かつぎ屋)とか世界救世教の幹部(給料を貰っていた)、不動産ブローカー、あんま(手かざし)をしながら十数年後に宗教起業家(神様商売)として成功したと考えられます。 

     ◆光玉は借金の返済などしていない
    一生かかってもとうてい返すことのできないほどの借金を返し終わって立教と言われていますがウソでしょう、「大聖主」を見ると解ります202頁7行目あたり・・あのインチキ勲章の叙勲祝賀披露宴での光玉の挨拶「・・都民銀行の工藤先生と福田先生のお世話により・・事なきを得たのであります」。つまりネ!政治家の口利きで帳消しにできる程度の借金はあって、しかも返済は免除された?と考えられます?傷痍軍人の光玉に大金を貸す人はいなかったでしょうね?また軍人だった実父は光玉が16歳の時に病死しており、公務員ですからそれほどの財産は残してなかったと考えられます。

    この項目(光玉の妻の実家の財産と借金)に関しては資料が少なく私の憶測による部分もあります、そこで「考えられる」「思われる」という表現を使いました。但し光玉から直接教えを受けた局長、部長クラスの話は何度も聞き記憶には残っております。さらに詳しい情報をお持ちの方コメント欄に書き込んで頂けましたら有り難いです


    いつも他人のことばかりを書いているのでチョットだけ自分のことも書いてみました。真光関連の資料の中に私の昔の写真があった、平成6年2月頃で入信から9ヶ月目に一人「光神殿」へ参拝したときの撮影です今から20年ほど前のものです。
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    私は平成5年5月に入信しました、もともと暗示にかかりやすいタイプなので入信後はスグに熱心な組手(信者)として活躍をしてきました。◆初級研修:平成5年5月 大阪大道場衣笠道場長、斉藤補佐 再聴講は同メンバーで3回受講 ◆中級研修:平成8年10月 白崎照明奉祭部長 平成9年4月 岩井浩次崇教局長 平成10年4月 中村泰通恢弘部長 ◆上級研修:平成13年3月 山田安住総合調整局長 (役職はいずれも当時)


    オミタマの写真を見ると目が覚める!オキヨメで病気は治りません 真光3代の教祖とパクリの教えの実態 真光三代の教え主・年表実録・貧困と病気の信者達実録・教団幹部と使い捨ての地元幹部

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    光玉の犬への手かざし2回の初体験?と貨幣価値

    岡田光玉の最初の手かざしは犬ということになってますが?この初体験が2回あります光玉の話にはこの手の同じことが時代を変えて何度も出てきます。また貨幣価値も曖昧です。


    神の声を聞く】祟教真光50年史 50年史39頁3段目

    戦災による借金を返す当てなどありません。死を決するしか道はありませんでした。

    先祖からの財産をすべて失くしてしまい、本当に申し訳に事をしてしまったと悔悟の念にくれました。「せめて自殺する前に先祖から信仰してきた神様にお詫びのお参りをさせていただこう」との思いが沸き上がってきました。神様へのお玉串を何とかしなくてはならない。しかし何もない。結局ボロになった作業服をうるしかありませんでした。

    荻窪の駅前にある古着屋にそれを持っていって交渉しました。一時間ほど粘ると、

    とうとうとうとう事情を知った店のお爺さんは「あんたの命があたら必ず取りにきなさい。それまで預かっておこう」と言って500円を渡してくれました。救い主様は、先祖から大切にお祀りされてきた神様のもとを訪れ、お詫びのお参りをしました。神の前に頭を垂れる師の眼からは涙が止めどなくなく流れ落ちます。有為転変の人生が走馬灯のようにめぐり来たりて、身の不始末を心よりお詫びするしかありませんでした。救い主様はお参りが終わると自殺の場所を探しました。どれぐらい彷徨ったでしょうか。死に場所を探しているうちに不思議な現象を体験したのです。先祖の罪穢が消えたぞ。曇りが取れたぞ」突然声なき声が聞こえたような気がしました。救い主様は思います。・・・救い主様は一ぺんに明るくなって自殺するのを辞めてしまいます。


    その帰り道、不思議な体験をします。

    大きなお屋敷の前を通ると一匹の犬が苦しんで倒れています。周りに人が集まっているのですが、皆何もできないでいます。「かわいそうに・・・」と思われた救い主様は、そばによって様子を見ました。その時、天空の彼方から「手をかざせ!」と言う声がハッキリ聞こえて来たのです。これが救い主が神の声を聞かれた最初です。救い主様はしばらくは躊躇されましたが、天からの声に従って犬に手かざしを始めました。すると体に熱いエネルギーが充ちて、掌から霊光がほとばしる感覚を覚えたのです。10分も経過したでしょうか。何と、あれほど苦しんでいた犬がみるみる元気になって立ち上がったのです。これには救い主様自身が驚かれました。そこへ品の良いご婦人が来て「あら、うちの犬あんなに弱っていたのにこんなに元気になって」と抱いて帰ろうとしました。・・・ご婦人はあなたが治してくださったのですね。有難うございました」と頭を下げてお礼を言われたのです。・・・招かれるままに縁側でお茶を御馳走になって、御主人が帰ってこられました。奥さんが事情を話されますと大変喜んで、帰りがけに「たばこでもどうぞ」と言って白い封筒をくださいました。中見は2000円でした。これが後、行商の元でにもなるのですが救い主様はまずこのお金で神様と御先祖の位牌をお祀りされました。そうするとその後の借金返しがスルスルっと順調にすすんでゆくのです。


    100yen.jpg

    疑問:この頃の最高額紙幣は100円で貨幣価値は現在の10万円と言われている、つまり2000円は現在の二百万円相当?通りがかりの光玉にこんな大金をくれたのですか?


    昭和34年(1959)天地一切神の声のあと

    【御対談集】本山氏との対談280頁8行目

    救い主様:「・・・たしか昭和34年の2月27日ですが、私の家の神様を拝んでいたら、大きな声で「光玉と名のれきびしき世となるべしとい声が聞こえたのです。・・・ひょっとしたらキツネかタヌキに憑かれたんじゃないかというわけで、一週間ぐらいは立ち上がる気が全然しなかった。ところがふと犬に手をかざしてみたら犬の病気が治っちゃった。それが始まりで・・・」


    救い主様:「・・・友達から千円を借りて汽車賃をつくり田舎へ・・・」276頁


    汽車賃の話も古着を五百円で売ったり、友達から千円を借りたり話す度にブレが見られる。


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